高校入試の古文で最もよく意味を問われるのが「をかし(おかし)」と「あはれ」です。どちらも心が強く動いた時、感動した時に発する言葉ですが、意味や使い方に違いがあります。
まず「をかし」について述べます。「をかし」は「面白い」とか「趣がある」と訳しますが、この面白いは、おかしくて笑ったときの面白いとは意味が違います。知的な楽しさでの面白いです。頭脳が「なるほど!ほう、これは面白い!」と判断し、心がわくわくした時に使うのが「をかし」です。たとえば、一休さんのとんち話で「この橋、渡るべからず(この橋を渡ってはいけない)」という立札が橋のたもとに立ててあったとき、一休さんが橋の中央を堂々と渡り、それをとがめられて「端を渡ってはいけないとあったので、橋の真ん中を渡りました」と答えたときの「なるほどなあ!」と感心する面白さです。
また、をかしの代表的な文学として清少納言の「枕草子」があります。枕草子には「いとをかし」のフレーズが随所に出てきます。
有名な「春はあけぼの」の段
夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
この文章にも、「をかし」が何度も出てきます。これを現代語に訳すときは「面白い」という意味よりも、「情趣がある」とか、「趣がある」と訳すのがしっくりいきます。清少納言は、「蛍」「夏の夕立ち」「秋の雁」を、季節を象徴する風物詩的なものとして受け止めています。季節を象徴するそれらのもと、季節に彩られた自然や風景全体とのつながりに知的な楽しさを見出し、「をかし」と表現しているのです。
次に「あはれ」について述べます。「あはれ」は「しみじみとした趣がある」と現代語に訳すのが一般的です。
現代語では「あわれ」といえば、「かわいそう」の意味になります。古文の「あはれ」も「かわいそう」の意味もありますが、「しみじみとした趣がある」という意味になることのほうが多いです。
「をかし」も「趣がある」と現代語に訳すのですが、「をかし」と「あはれ」で「趣がある」という心の状態は異なります。「をかし」の「趣」は「なるほどな!」という頭脳を働かせての楽しさですが、「あはれ」の「しみじみとした趣」というのは、「心が揺さぶられ、感情が動くさま」のことです。「心情に働きかける趣」が「あはれ」なのです。
「あはれ」について、さらに詳しく説明しましょう。私たちは、何か予期せぬものを見たり聞いたり、あるいは経験した時、あまりの思いがけなさに感情が強く動きます。そのとき思わず、口について出る言葉が、「あはれ」なのです。
あまりの思いがけなさに感情が強く動いたとき、その心の動きを表すのが「あはれ」であるため、「あはれ」は、実にたくさんの意味を持つことになります。
たとえばどこかに旅行に出かけたとき、思いがけず満開の桜の花が咲き誇る公園を見つけたとしましょう。こんな時に、口をついて出ることばが「あはれ」なのです。また、幼い子が、辛い顔をして泣いているのを見かけたとします。私たちは、心配でいたたまれなくなり、なんとかしてあげたいという気持ちになります。この時の感情も「あはれ」なのです。美しい女性に偶然出会い、すぐさま恋に落ちたとします。このときの感情も「あはれ」です。ある人の不幸な身の上話を聞き、不憫に思い、もらい泣きをしたとします。このときの感情もまた「あはれ」です。
このように「あはれ」は、同情であれ、美しさであれ、見事さであれ、何らかの感情が思いがけず強く動いたときに使う言葉です。そのため、「あはれ」は、さまざまな現代語に訳すことができます。あはれは、文脈に応じて、「感動する、かわいそうに思う、悲しく思う、素晴らしいと思う、恋をする、美しいと思う」などと訳すことができるのです。
先ほど引用した清少納言の「春はあけぼの」の段を読めば、「をかし」と「あはれ」の違いが理解できると思います。「烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。」は、夕暮れ時、数羽のカラスが寝どころに急いで帰っていく姿に、思いがけず心が深く動くような感動をしたということです。清少納言は蛍や夏の雨には頭脳を働かせての情趣を感じ、夕暮れの烏には心に響くようなようなしみじみとした趣を感じたのです。
また、「あはれ」の文学で代表的なものは紫式部の「源氏物語」です。源氏物語は一言でいうと恋愛小説です。恋愛というのは頭脳でするものではなく、心でするものです。心が強く動くのが恋愛です。ですから「あはれ」という語が多いのも納得でしょう。あはれの文学とは、感動の文学というところでしょう。
最後にまとめると、「をかし」は頭脳の働きとともに湧き起こった感動や趣で、「あはれ」は、自分でも思いがけず、感情がひとりでに動いたときの、心に湧き立った感動です。