家庭力

どうして勉強をやらなければならないの?と言われたとき、どう答えるか。

わが子に向かって「勉強しなさい」と言ったとき「どうして勉強をやらなければならないの?」と返された親御さんも多いと思います。
そんなとき、どう答えていますか?
その場しのぎの行き当たりばったりな返答では子どもは納得しません。子どもは勉強したくなくてこういった質問を投げることもありますが、心底疑問に思って言っている部分もあります。
ですから、親御さんは自分なりにきちんとした答えを用意しておくとよいでしょう。なぜ勉強しなければならないか?・・・・・・その答えはさまざまです。家庭環境が1人ずつ違いますし、勉強を通じてめざすものも違います。知恵があると人生が豊かになるからという抽象的な答えでは納得しない性格の子もいます。あるいは、しっかり勉強して大学に行き、公務員にでもなって安定した人生を送ってほしいという具体的な事柄を述べると、かえって反感を抱く子もいます。勉強しないで落ちこぼれて、つまらない高校しか行けず、就職もできなかったら悲惨な人生になるなどと脅したら、ナイーブな子は委縮してしまうでしょう。
子どもの性格を見据えて、励ますような気持ちで勉強の必要性を説けばいいのですが難しいです。
一例として、私は自分の塾に通う生徒達にはこう述べています。
世の中は、ほとんどが善良な人間ばかりで、人をだましたり、損をさせるようとする詐欺師のような人間はごくわずかしかいない。1万人に1人とかそんなものだろう。(実際のデータを見たわけではないのでわかりません)。けれども、自分が生きていくのに必要なお金を稼ぐために(こうすれば他の人にとってはまずいことになるな)と分かっていても、人がこまるようなことでもやらざるを得なかったり、間違ったことでも言葉巧みに言わなければならないという人はたくさんいる。たくさんいるというかほとんどがそうだ。もしくは、他人が困っている時、かわいそうと同情しながらも自分は援助の手を差し伸べず、考えることさえ嫌がってしまう。福島の原発事故の状況がそうだ。事故で家や仕事を失った人はいまだに、以前のような生活に戻れず宙ぶらりんでいる。早く解決しなければならないのに、社会全体の関心はそこに向かわない。再び原発事故がどこかで起きたらどう対処しようという具体的案もないまま再稼働をしようとする声は大きい。電力会社だけではなく、一般の人々も再稼働を望む人はとても多い。電力需給がひっ迫したままだと、仕事への影響がある人も多い。原発をとめ続けたままで電気料金が上がり続けたら家計の負担は増え続ける。原発の施設から離れた地域で暮らす人々は、みな善良な人間には違いないが、原発再稼働を望む自分たちの声が、他人の生活を脅かすことを気づいていながら、そういった声をあげてしまう。
他人を脅かす声をあげる人間にならないために、しっかりと勉強して知恵をつけましょうとは私は言いません。無理だからです。逆です。逃れようのないことのために、虐げられる側、弱者の側に回ったとき、人生を切り拓いていくために知恵が必要なのだと言います。
福島原発の方々は、原発事故が起きて原発の恐ろしさに気づきました。原発は安全、事故は決して起きないのプロパガンダにすっかり信じこまされてきました。事故によって生活を失ってはじめて気が付いたのです。福島の人達が思慮が足りないのでは決してありません。日本中が国の施策にすっかり騙されていたからです。知識と知恵をつけて普段の生活を過ごしていれば、国が産業を優先するために、国民を時々犠牲にしていることがらにも対処できます。
ショートニングという食品添加物があります。パンに入れるものです。日本の市販のパンはこれがほとんど入ってますが、体にとても有害なのです。ドイツでは完全に使用を禁止しています。アメリカも使用量を制限しています。日本だけが野放しです。ショートニングを使えばパンや洋菓子が安く作れるからです。食品業界の圧力かは知りませんが、なぜか何の動きもない。また植物性油脂なども悪質な表示です。植物性とあるからトウモロコシや大豆の油かなと思います。けれども植物油脂ではなく、植物性なのです。植物からとった油と性質が似た油ということです。植物には似てるが植物ではない油です。では何でしょう。原油です。石油やガソリンの原油。原油を、簡単に言うと石油にいろいろ手を加えて植物と似た油を作っているのです。体にいいわけがありません。この植物性油脂はケーキやパン以外にも入っています。スナック菓子にもあります。体にとても悪い。でも野放し。
こういった事実にどう対処するか。まず、自衛手段をとることです。買わないし食べない。安いお菓子だからダメなんだ、高ければ大丈夫と思う人もいるかもしれませんが、高い値段のものにも入っています。
世の中にはこうしたことがとても多い。特に日本は多いです。知識と知恵をつけて、自分の暮らしと生活を守らなければならない。誰かが裕福になるために、誰かの快適な暮らしを守るために、自分の健康や生活が犠牲になるなんて悔しいことじゃありませんか?私は悔しいです。
そうならないように勉強するのです。誰かを犠牲にして自分が快適に生きていくために勉強するというのは、心の優しい子は嫌がるでしょう。素敵な子なら、犠牲になっている人を助けてあげたい、そのために勉強すると思うでしょう。そこまで至らなくていい。自衛のために知識と知恵をつける。高校がどう、大学がどうじゃない。知識と知恵がついたら世の中どうにかやっていける。そう考えて勉強すると良いと思うのです。